なぜ娘を中学受験? 元ギャルママも不安に「小学生の学力低下問題」(12/30付Hanasone記事)

受験生保護者

元記事はこちら
https://hanasone.mainichi.jp/articles/20251225/wom/00m/402/006000c

3行まとめ

はじめに

「中学受験はうちには関係ない」と思っていたのに、気づけば塾探しをしている‥。最近、この流れに巻き込まれている家庭は少なくないように感じます。今回紹介した毎日新聞系の「ハナソネ」でも、当初は中学受験不要派だった保護者が、公立小の学習環境への不安から受験を考え始める様子が描かれていました(宿題が出ない、学力低下が不安、など)。

中学受験が“教育熱心な一部の家庭のイベント”から、“不安回避の選択肢”へ変質しているのだとしたら、これは受験の話である以上に、公教育と教員の働き方の話でもあります。本記事では、公立小の教育力低下が語られる背景、中学受験の拡大が社会にもたらす影響、そして保護者・教員それぞれの現実的な打ち手を整理します。

1. いま何が起きているのか——「中学受験の大衆化」という現象

1-1. 中学受験は“憧れ”から“不安回避”へ

これまで中学受験は、「上位校を目指す教育投資」「環境を買う選択」として語られがちでした。しかし最近は、動機が少し変わっています。ハナソネの記事の見出し・要旨には、公立小の学習環境(宿題の少なさ等)への不安、そして「小学生の学力低下問題」を理由に中学受験へ傾く家庭像が示されています。
このタイプの受験は、上を目指すよりも「下がらないため」「荒れないため」「授業が成立するため」という消極的動機が強く、家庭側もどこか後ろめたさを抱えたまま走り出すのが特徴です。

転職の鬼
転職の鬼

この流れはコロナ禍の対応で一気に加速した印象があります。当時、やはり私立学校のほうがフットワークが軽く、柔軟な対応ができていたという印象をもったご家庭が多かったのではないでしょうか。

1-2. “教育の当たり外れ”を家庭が引き受け始めた

公立校は本来、一定水準の学習機会を保障する装置です。ところが実態として、学校・学級・担任による差が見えやすくなり、家庭が「学習の下支え(塾・家庭学習・教材)」を背負う割合が増えてきたように感じます。
その結果、「背負える家庭」は選択肢を増やし、「背負えない家庭」は選択肢が狭まる。ここに中学受験の拡大が重なると、教育の二極化はさらに進みやすくなります。


2. 公立小の「教育力低下」は、教員の努力不足ではない

2-1. 学力不安は“肌感”だけではなく、数字でも語られる

学力低下の実感は主観に見えますが、全国調査の結果でも「平均正答率の下降」などが報じられています。2025年度の全国学力・学習状況調査では、小中ともに前年より下降したとされ、とくに中学校数学では無解答率が高い設問があったことも伝えられています。
もちろん、単年度の変動や設問難度もあるため「数字だけで断定」はできません。それでも、保護者の不安が単なる気分ではなく、状況認識として広がり得る土壌はあります。

2-2. 背景は「授業が下手」ではなく、授業を成立させにくい構造

公立小の教育力が落ちたように見えるとき、原因を「先生の質」に回収すると議論が壊れます。現場側から見れば、授業を成立させにくい要因が重なっています。例えば——

  • 学級の多様化:学力差、配慮が必要な子、言語面の困難などが同一空間に存在し、個別対応が増える
  • 業務の増加:指導以外の対応(保護者連絡、事務、校内調整)が膨らみ、教材研究の時間が削られる
  • 方針の揺れ:「主体的・対話的で深い学び」等の理念が先行し、基礎反復の扱いが学校ごとにぶれる
転職の鬼
転職の鬼

そうはいっても、個別対応は私立学校でも増えてきました。ここ数年で感じるのは「日本語が伝わらないご家庭(本人・親ともに)」が中堅の私立学校でも増えてきたことです。

東洋経済の記事でも、学力低下の要因として「探究やグループワーク増加」などを挙げる論者の見方が紹介されています。ここは賛否が分かれる部分ですが、少なくとも「基礎定着の時間が圧迫されやすい」という構造の指摘は、現場感覚と噛み合う面があります。

転職の鬼
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応用力・活用力・思考力などが求められていますが、基礎学力が定着していなければ活用することはできません。バランスが難しいわけですが、この問題は学年が下がれば下がるほど影響が大きくなると個人的には思っています。

2-3. 宿題が出ない問題は“善意”でも起きる

「宿題が出ない公立小」という話は、しばしば炎上します。ただ、現場の論理で言えば、宿題を出さない/減らす背景には、家庭環境差への配慮、丸付け負担、学童や習い事との調整など複数要因があると思います。
問題は、宿題が減った分の“基礎定着”をどこで担保するのかが曖昧なまま進むことです。担保が家庭に寄れば、「できる家庭は伸びる」「難しい家庭は空洞化する」という二極化のスイッチになります。


3. “想定外の家庭”が中学受験へ向かうメカニズム

3-1. 受験の理由は「学力」より「環境」になりやすい

想定外受験で多いのは、「成績が突出しているから」ではなく、次のような理由です。

  • 授業が成立しない/学級が落ち着かない不安
  • 学習習慣が学校だけでは作れない不安
  • 中学進学後の内申・進路の不透明感
  • 周囲が塾に行き始め、情報が回らなくなる焦り

つまり、受験は学力勝負というより環境選択に寄ります。ここに「公立が悪い」と言い切る乱暴さは不要ですが、「公立が担っていたはずの安心」を家庭が感じにくくなっているのは事実として重いです。

3-2. 社会的背景:二極化と“生活の余白”の消失

中学受験は、時間・お金・伴走力が要る選択です。賃金停滞や共働きの一般化で家庭の余白が減る一方、「教育は自己責任」という空気が強まると、受験は“安全策”として機能します。
さらに、地域によっては児童生徒の多様化が急速に進み、学校が抱える課題が見えにくい形で積み上がります(外国人児童生徒の増加などは、その一要素として語られがちです)。ここはデータの扱いが難しい領域なので、本稿では「現場負担が増えやすい要因の一つ」としてさらりと触れるにとどめます。


4. 私立という選択肢——家庭にも、働く側にも「メリット」はある

4-1. 保護者・生徒にとっての私立の利点

私立中高一貫の価値は、偏差値だけではありません。典型的には

  • 学習進度・学習文化の統一(授業が成立しやすい)
  • 生活指導・進路指導の一貫性
  • 学校の裁量が大きく、特色(探究・英語・ICT等)を出しやすい

「環境を買う」という言い方は生々しいですが、想定外受験の家庭ほど、このメリットを現実的に評価しているように感じます。

4-2. 教員(働く側)にとっての私立の利点と落とし穴

私立は働く側にとっても魅力があります。例えば——

  • 学校理念と裁量が合えば、授業づくりがしやすい
  • ICTや教材整備が進んでいる学校もある
  • 生徒・保護者の教育期待が一定程度そろい、授業が回りやすい

一方で落とし穴もあります。

  • 労働時間が長くなりやすい(行事・広報・部活・入試)
  • 学校ごとの“文化差”が大きく、合わないと消耗する
  • 人事評価・更新・雇用形態(常勤/非常勤)の設計が学校で違う
  • 「私立なんだから」という保護者の期待が大きい

単に「私立が良い」という訳ではありません。他の記事でも述べていますが、自分に合う私立を見抜く力が決定的です。


5. それでも「公立が悪い」で終わらせないために

5-1. 公立には公立の価値がある

公立の強みは、地域の子どもを受け止める包摂性と、一定水準の学習機会保障です。上手く機能している学校は、家庭の背景に左右されにくい学びを作っています。
私立礼賛で話を閉じると、最後は「買える家庭が勝つ」になり、社会として持続しません。

5-2. 現実的な改善は「先生を責める」ではなく、先生を増やすこと

改善策として最も本質的なのは、理念論よりも人と時間です。授業改善も個別対応も、時間が必要です。時間は人がいないと生まれません。
教育内容の議論をするなら、同時に「それを回す人的資源」をセットで議論しないと、現場では実装されません。


Q&A(よくある質問)

Q1. 中学受験は“公立不信”の表れですか?

一部はそうですが、それだけではありません。授業の質というより「環境の確実性」を求める動機が強く、受験が不安回避策になっている側面があります。

Q2. 公立小の教育力低下は探究学習のせいですか?

単純化は危険です。探究自体が悪いのではなく、基礎定着の時間・人員・運用設計が不足すると、効果が出にくいという構造の問題です。探究やグループワーク増加が要因の一つだとする見方もありますが、断定ではなく「条件付き」で捉えるべきです。

Q3. 私立は本当に“働きやすい”のですか?

学校によります。授業が回りやすい、裁量がある、設備が整うなどの利点はありますが、行事・入試・部活で負担が増える学校もあります。「私立=良い」ではなく「自分に合う私立」を見抜くことが重要です。


まとめ

中学受験は一部の家庭の選択から、想定外の家庭にも広がる現象になりつつあります。その背景には、公立小の教育力が落ちたという単純な話ではなく、学級の多様化や業務増加など、授業を成立させにくい構造があります。学力不安は数字でも語られ、保護者の「不安回避」として受験が機能しやすくなっています。私立には学習文化の統一や特色づくりなどの利点がある一方、働く側の負担が増える場合もあり、学校ごとの見極めが欠かせません。公立を否定するのではなく、先生を責めるのでもなく、人と時間を確保して学びを支える設計へ戻すことが必要です。保護者は受験の有無にかかわらず家庭学習を設計し、教員は疲弊前にキャリアの選択肢を棚卸しすることが、2025年末時点で求められていることなのかもしれません。

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